ラムドンピーク 2009 
 Rolwaling Himal Ramdung Peak

 松本登高会OBヒマラヤラムドンピ-ク登山隊.2009

 隊長:福沢勝幸、津留宏信、高橋正幸、淀川雅之、古沢憲文
 サ-ダ-:
ChhiringDorjee,FurTengba,Lhakpa
 Cook:Minbahadul



ラムドン.ピーク.5925m
登山写真はこちらクリック
ラムドンピークは白い雪のドームだった。鏡餅のような山で、山頂周辺は上下2段の雪塊が重なり合い、独特の山容をしていた。この山は技術的にはそれほど難しくはなく(PD−)、我々Baje(シルバー隊)登山隊でも充分ヒマラヤを楽しめる山だった。ラムドンは、2003年に解禁になった山で一般的にはあまり馴染みがない。過去の登山隊の記録も少なく、日本隊では大阪山の会、最近では昨年(2008年秋)京大OB隊の記録があるのみで、外国隊の記録も少ない山である。今回の登山では京大隊から多くの写真、登山記録の提供を受け大変参考にさせて頂きました。 ダンニャバードです。

◆アプローチ KTM(バス)シンガティ〜ナガオン
2月18日、専用バスでカトマンズを出発。キャラバン出発点シンガティまで10時間。ここで先発したポーターGと合流。翌19日からキャラバンがスタートした。ジャガット、シミガオン、ドンカンに泊まり、最奥の村べデンを経て、登山基地ナ.ガオン(ナ村.4183m)に到着したのは2月25日だった。
ここで4日間滞在、この間ツオーロルパ(4580m)、リピモ氷河(4700m)へ往復、高所順応についやした。
ナ.ガオンで1名体調悪く下山、べデンからレスキューヘリでカトマンズへ。登山は4名の行動になる
登山記録
2月28日(快晴) ナガオン(ナ村.4183m)9:05発ーヤルンカルカ(4780m)13:10着。
ナガオンからロールワリンコーラの橋を渡り左岸を歩く、明るく開けた平坦な道から右手のヤルン谷へ。小潅木と巨岩の道に入る。小さな沢はところどころ氷結していた。登山道はしっかりした踏み跡があり歩き易い。高所順応を兼ねゆっくりとヤルンカルカまで登る。キャンプ地は石積みカルカの草地。牧歌的な明るく開けたキャンプ地で、周辺の景観も素晴らしい。ここまでくると展望が開け、リピモGLの山々、チベットの山も望めた。
夜半強風、トイレテントが飛ばされる。気温は氷点下マイナス15度

3月1日(快晴) ヤルンカルカ.8:30ーBC(5070m)12:05。
今日も好天だが風が強い。カルカから上部は更に開けチョブツェ、チュキマゴなどの展望が広がる。しっかりした踏み跡が続き、快適な登りが続く。BCへの荷揚げはヤク3頭とポーター8名。
広い尾根を越すと大きく開けた台地に出た。正面にヤルン.ラ(5310m)らしき峠も見える。凍りついた川が流れ、砂地が広がっていた。右手にヤルン.リ(5630m)が姿を見せる。ここからはちょっと不明瞭な巨岩の道、ヤクが勝手に動き回りガイドが四苦八苦、1頭がどうも暴れヤクで、シェルパ達は盛んにヤクザ、ヤクザと言いながら陽気に追いまくっていた。
登りついた尾根のすぐ下が平坦なBCだった。
キャンプ地には涸れた川があり下部の水場は氷結していた。炊事用には、ここの氷を使用、キッチンスタッフが重い氷をドッコ(竹籠)に入れ何度も運び上げていた。
ベースキャンプは、巨岩、岩尾根に囲まれ、風もさえぎる快適なキャンプ地だった。

3月2日(快晴) BC休養日。休養と軽い高所順応、5150m往復 BC10:00〜13:00BC
高所順応にのんびりと裏山へ。大岩の間を30分ほど登ると開けた草の台地だった。休憩できるビューポイントがあちこちにある。幾度も腰を下ろして休み、周辺の景観を満喫、行動可能な最上部までゆっくり登る。右にヤルン.リ、左にラムドンの登山ルートが姿を現す。C1設営に向かったシェルパ達の行動も確認できた。今日は快晴無風。
ここから上部はスレート状の岩盤が積み重なった岩尾根で、ヤルン.ラ(峠.5350m)へはかなり厳しいルートだ。
帰りはラムドンの雪面取り付き点が見える方向まで移動、登山ルートを確認後、BCに戻る。
この日、シェルパ達はC1設営、更にC2地点まで登り、テントを1張りセットし、BCに戻ってきた。彼らの報告によると、雪は硬く安定し、コンデションは良いとのこと。
午後、上部キャンプに上げる食料の再チェツク、BCにデポする荷物の整理を行う。

3月3日(快晴) BC.9:20ーC1(5310m).14:00
出発前、登山の安全祈願。BCからはピナクルピークを正面に望む尾根に取り付く。10分ほどで尾根上、明瞭な登山道があり要所にはケルンもある。やがて尾根側面のガレ場のトラバース、左下に結氷した氷河湖が望める。
雪面への取り付きは、トラバース道から一旦氷河湖近くまで降り、岩の積み重なった不明瞭な箇所を右上気味に登る。上部岩の台地で、クランポン、ハーネスを付け、ロープを結ぶ。
最初は緩斜面、雪質は硬く登り易い。この上は少し急斜面で、フィックスを頼りに登り、更に左上する。
登りついた上部は平坦な雪原で、右手に岩峰が現れる。この岩の下がC1(5310m)。風の吹き上が強く寒い。
岩壁下のキャンプ地は、左右とも危険な氷のルンゼが伸びていた。用足しが風にあおられ寒くスリリングだった。
ここまで来ると、ラムドンの全容が望めた。正面にはラムドン氷河のアイスフォールが山頂に続いている。バリエーションルートとして魅力的だ。

3月4日(快晴) C1.10:00−C2(5500m).14:00。
C1からは、ピナクルピークに向かって緩やかな雪原を登る。次に右上し20〜30度ほどの斜面を登る。上部は安定した雪原で大休止。ここからピナクルP尾根の側面に取り付く。大きなクレパスが進路を阻んでいた。
クレパスは、右側、あまり口の開いていない所から越える。この上は、ほんのワンピッチだが雪と氷の急斜面だった。ユマーリングで攀じ、中間の岩でビレイ、更に右にトラバースし、なだらかな尾根上に出る。あとは易しいルートで、緩やかに登ると広い雪のプラトー、ここにC2を設営した。
ラムドンピークが更に大きく眼前に広がっていた。

3月5日(快晴、強風) C2.8:30ー登頂11:50、下山.12:20ーC2.14:30。
早朝、すごい強風が吹き荒れていた。出発を2時間ほど遅らせ紅茶を飲みながら風の治まりをを待つ。
午前8時30分、意を決してアタックを決行する。C2からは、緩やかに降り、緩斜面を登る。やがて雪壁の取り付き点に出た。
ルートは正面左よりの雪壁に伸ばす。右手は、クレパスが大きく開き登攀は不可能だ。雪質は安定している、一部、踝まで埋まる箇所もあったが、クラストした雪壁はクランポンのツアッケがしっかりと食い込み登りやすい。
強風は相変わらず吹き荒れていた。顔面の一部、皮膚の出ている部分が寒く痛い。
フィックスロープを頼りに、ユマールをセットし単調な登りを繰り返してゆく。
最初は緩斜面だが、次第に傾斜もましてきた。途中クレパスが開いている部分が3箇所ほどあった。クレパスを越す部分が特に傾斜がきつい。それでも最大で50度ほどか、技術的には難しいルートではない。単調なユマーリングを続け、やがて、雪のドームの上に出た。
ここが山頂かと思ったが、見上げると、左上にチョットした雪の突起が見えた。
ここまでくればもう頂上は近い。休憩を取り、飴を口に含み、ゆっくりと頂上に向かう。
ドームの上から山頂までは、ほんの数分だった。
今まで見えなかった山々が姿を見せる。ジュガール、ランタン山群、遠くチベットの山々、エベレストなどクーンブのパノラマも広がる。
写真を撮り、しばらく休憩後、山頂を後にする。
懸垂下降を繰り返し1時間ほど下った所で、遥か下のキャンプ.C2の異変に気づく、3張り設営した真ん中の一つのテントが無い。強風に飛ばされたのであろう。目を凝らすと、下方のクレパスに黄色のテントが確認できた。テントはクレパスの所で引っかかり止っている。急ぎ、シェルパを回収に向かわせた。
彼らは凄い勢いで駆け下りていった。
我々がC2に着いた時には、既にテントが設営され、事なきを得、一安心。
この日の私は最悪のコンデションだった。朝起きると甲状腺が腫れ(初めて)Spo2は67%まで下がっていた。ここまで順調だったのに厳しい1日になった。アタックは断念しようと思ったが、行けるところまで行き駄目なら下山、そう思い山頂に向かった。苦しいクライミングだったが、徐々に高度をあげる、そのうち、なんとなく山頂についてしまった。血中酸素が67%でのアタックは初めてのこと、このくらいの標高なら何とかなると言うことか、貴重な体験もすることになった。

3月6日(快晴) C2.10:00-BC.14:50
ピナクルピーク側面のクレパスは更に大きく広がっていた。越えるのにフィックスロープを充分弛ませ飛び越える。
この下は広い雪の台地、安全地帯で周辺の景観を楽しむ余裕も出てきた。
ここからBCへは往路とは別のルートを探る。
ピナクルピークと往路の中間辺りの雪面をコンテで下降、時々、雪の深い所もあり足を取られる。
下りきった地点は岩のガレ場、更に往路の氷河湖の対岸近くまで降り、上部の小さなケルンのある大岩まで登る。
キッチンボーイが温かなお茶を持参し、ここまで迎えにきてくれていた。
ここからは彼の案内で進む。スラブを下降(一箇所ロープ使用)再び氷河湖の下方までくだる。湖の周辺は平坦な草地になっていた。ここからアップダウンが続く、大きな岩が重なり合った歩きにくい岩尾根を幾つか越えた。小さなトラバース、登下降を繰り返し、ようやくBCとこの谷を分かつ尾根に登る。結構、タフなコースだった。

3月7日(快晴) BC.10:00-ナ.ガオン.12:50
朝、登山の終わりを祈るプジャ、サーダーが厳かにラマの経文をあげる。彼らは本当に信心深い。
その後も、村々のゴンパでプジャを続けながら山を降ることになる。
10時、BCを出発。今日も快晴、周辺の景観も申し分ない。青い空、白い雪のヒマラヤ、のどかで我々以外、誰もいないのが実にいい。途中、衛星電話で久しぶりに日本に連絡を入れた。
それぞれに自分のペースで山を下る。ナ.ガオンには3時間ほどで到着した。

◇KTMへ (ナ.ガオン-べデンードンカンーシミガオンージャガットーシンガィ(車)KTM)
3月8日カトマンズに向けナ.ガオンを出発した。KTMまでは6日間の旅だ。
シミガオンまでは往路と同じコースをたどる。急な畑道を降り、ターマコシ(川)を渡りチェトチェトへ。ここからはターマコシに沿って歩く。発電所建設であちこちで道路工事が行われていた。後、数年もすれば、このロールワリンへのアプローチもかなり短縮されることであろう。
途中、ジャガットに泊り、旅の終わりシンガティ到着は3月12日だった。
翌3月13日、迎えのバスでKTMへ。24日間の登山を終える。

今回の登山ではChhiring、Furtembaシェルパが、惜しみないサポートをしてくれた。コックも毎日、日本食を用意、食事は何も心配がなかった。べデン村からは我々Baje(爺さん)の為に更に2名のシェルパも応援参加、多くのネパールスタッフに支えられ Thank you so much ゛Dhanyabad" です。
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