中国雲南省.蒼山4000m峰

今年のネパールは(2004)雨季が早く始まっていた。カトマンヅは5月末だと言うのに毎日雨が降り続いていた。数日後には、又、Nepalバンダも予定されている。天候も悪く、行動が制限されるネパールでのトレッキングを諦め、昨年計画して行けなかった、中国の蒼山へ予定を変更する。 KTMからBKK経由、中国、昆明に飛ぶ。
中国は雲南省大理の西に蒼山がある。蒼山とはこの山脈の総称であり、4000m峰が幾つかある。特別な許可も、技術も必要ない。日本の夏山感覚で登れる。麓の大理古城からは日帰りで登山が可能だ。
5月下旬の蒼山は、4000mの山頂近くは、みごとな黄花しゃくなげが満開だった。



大理古城と背後は蒼山

石畳の街.水路が多い

ぺ−族.三道茶

大理洋人街のオ−プンカフェ

蒼山の一角4100m山頂

山頂近く、黄花しゃくなげが満開

登山道途中の岩山

中国雲南の旅は、バスの移動になるので、不要な荷物は全てカトマンズに置いていく。着用している物以外では、肌着とパンツ各1枚、Tシャツ1枚、フリースジャケット1枚、登山用ズボン1、登山用靴下1、雨具、メモ帳、ボールペン、洗面具、医薬品セット、コンパクトカメラ1台、フイルム2本、靴下1足、ポケットティシュ2、ハンカチ1枚の軽装備で出かける。

5月25日(快晴)BKK−昆明
昆明空港に降り立つ。とりあえず10.000円を両替えする、725元だった。税関を出ると、何人もの客引きが声をかけてくる。中国人は、ずるい、と聞いていたので、騙されたつもりで客引きの1人に引っかかり、まずは情報収集。空港内のコ−ヒ−ショップに行く、雲南観光公社の名刺をもらう。とりあえず、今日のホテル、明日の大理に行くバス乗り場などを聞く。ホテルまでは車が15元だと言う”10元だろう”と言うと、9元まで下がった。ホテルは150元、古びた所だがバスタブもあり、まあまあ。街はなにか新旧混沌とした古びた埃っぽい感じがする。
ホテルの窓からはバス乗り場も見え、ここからも近い。
明日の大理へのチケットを買いに行く。バスターミナルに行くが、英語が全く通じない。大理、ダ−リー・・・。と言いながらチケット売り場窓口を覗いて回ると、1人のスタッフが、こっちだと言う。そこでチケットを購入、バス代は大理まで101元。バス乗り場は、今、入ってきた処とは反対側で、何台ものバスが止まっていた。大理行きの場所を確認して、夕食を食べに行く。
混雑した一軒のレストランに入り、牛肉野菜炒め、ご飯、大根ぶつ切りの大どんぶりスープ、コカコーラで25元。大根スープは美味しかった。その後Coffeeショップに行く20元で凄く高い。

5月26日(快晴)昆明−大理
バス乗り場で緑茶を売っていた。購入し一口飲むと、これが砂糖入り。日本茶だと思っていたが、甘くてとても飲めない。バスが出発してまもなく、ミネラルウオーターのサービスがある。1人1本充て、更にミニ巻尺のプレゼントがある。サービス競争が激しいのだろうか。
バスの乗客は10人ほど、席が空いているのに全員前の席に集められている。
昆明から大理までは6時間の旅だ。郊外は花壇が設けられ、街とは一変する。道路は、いたるところ工事中、舗装道路からダ−ト道が交互に続く、農村地帯に入ると、畑では大勢の人達があちこちで働いていた。よく見ると野菜に水を一株ごとまいている。大変な労働だ。タバコの葉の栽培が実に多い。
景色を眺めながら、うとうとしていると、ドライブインに着いた。ランチタイムらしい。あちこちからバスが来ている。乗客は皆、食券のような物を購入、ウエイトレスに渡している。言葉が通じないし、どうしようかと思ったが、見ると大きな樽にご飯がたっぷりとある。その横にいろんな種類の惣菜がある。かまわずマーボー豆腐とライスを指差すと、大きなどんぶりに豪快にご飯を盛り、別の皿にマーボー豆腐を盛り付けてくれた。縁の欠けた器は、口が切れそうで危なかったが、ここは中国、どうと言うことはない。味はおいしかった。これでたったの3元、日本円で40円ほどだ。
ここから大理までは2時間で着いた。どうやら大理古城行きと間違えたらしい。ここがバスの終点だった。しかたなく、とりあえずは今日の宿を探す。観光案内所があちこちにあるが、英語は全く通じない。こんな時の為にメモ帳を持ってきたので筆談する。欧米人はどうするんだろうと余計な心配をしてしまう
100元の宿をバスターミナルの近くに見つける。
次に両替所に行く。地方に行けば両替えが難しいと思い、銀行に行く。2軒ほど銀行をまわるがどこも断わられる。窓口で話すが言葉が通じない。行員は中で恥ずかしそうに、皆、にやにやしているだけだ。メモ帳に”両替”と書いて見せると、”中国中央銀行”と書いたメモをくれた。両替えは「Bank of China」のみが取り扱っている。日本円も現地通貨へ交換可能だった。
夕刻、近くの公園が凄い人だかりだった。何があるのかと行ってみると、なんだか年寄りばかり、幾つかのグループが集まり音楽に合わせ踊っている。運動をしているのであろう、どこの国も健康ブームなのか。   


5月27日(快晴)大理−大理古城
朝食のお粥は2元。食堂で聞いた「4路」のバス亭で古城行きのバスに乗る。ワンマンカーだった。乗車して、1元を改札箱に入れる。1時間で大理古城着。田園風景が広がり、野菜畑が多い。右手には大きな湖、耳海がある。古城は奇麗な街だった。石畳が敷かれ、両脇に水路があり、ゴミ箱があちこちに設置されている。
暫く街の中を歩くことにする。例のごとく客引きが凄い。観光パンフレットを手に、なりふりかまわず中国語で声をかけてくる。”判るわけないだろう’、と、相手にしないでいると、その中の1人が、片言の英語で話しかけてきた。私設ガイドのおばさんと、おねえさんのこんびだ。立ち話もどうかと思い近くのオープンカフェに行く。聞きたい事が沢山ある。ジュースとミルクをご馳走し、ここでも情報収集。
カフェに座ってまもなく、彼女がノートを取り出して見せる。そこには「この人は信用できます、私もいろいろ助けてもらいました・・・」と、日本語の文章が書かれていた。
中国人相手だと、どうしても構えてしまう、騙された話を良く聞いていたからだ。この人達はほんとうにいい人だった。彼女らも貴方はいい日本人だと言う。飲み物おごってやったからかい。そう、おれはいい日本人だぜ!少なくとも観光客を騙すような中国人とはちがうからね。と言おうと思ったが止めた。
早速今日の宿、明日の蒼山登山の情報を聞く。蒼山へは、古城から中和寺まで行き、そこから歩くらしい。中和寺まではリフトで上がれる。馬で行けば30分ほどだと言う。そうだ、それじゃ馬で行こうと料金交渉、40元で往復の話をつける。高いのか安いの判らん。明日の朝、7時に古城郊外で待ち合わせの約束をする。その後、ホテルを紹介してもらう。ホテルは1泊150元、3泊すると言うと、だまって120元に値下げしてくれた。宿泊したホテルは金花飯店だったと思う。
昆明でも大理でも古城に行ったら、洋人街に行けと言われていた。外人が多く滞在し、英語が通じるし、情報がとれやすい。洋人街は、僅か100mほどの狭い通路だが、しゃれたオープン、カフェやレストランが何件もあり、多くのペー族が見られる。ぺ−族ガイドがあちこちで団体観光客を案内していた。


5月28日 (快晴)大理ー蒼山ー大理

馬で中和寺まで30分。古城から郊外に出て畑道から登る始める。松林の中に墓地がいたるところにある。中和寺は高度計で2600mを示していた。広場は石畳で食堂もある。登山口は「蒼山巻山索道」の標示がある右の石段からスタート、9時出発、寺の裏に出て、急斜面の道を登ると、松が多い赤土の登山道に出る。数人の中国人登山者がいる。ひと登りすると松林のトラバース道になる。小笹の道、やがて岩場のある中和寺峰を越える。この辺りから岩が多くなり登山道らしくなる。中国人の登山者と一緒に歩く。道標はないが道は1本道、迷う事はない。途中、真っ赤な鳥を見る。雀ほどの大きさで朱色が鮮やかな、初めて見るきれいな鳥だった。
12時10分、小竹林の峠の広場に出る。左手に蒼山の一角が見える。谷を挟んで、前方には車道が望める。その背後、山の中腹には寺が見える。ここからは暫く急登、その後トラバース気味にかなり下る。やがて、右手に屏風のような岩場が現れる。岩の上に松が生え、霧の中に山水画の世界が広がる。右手からは大岩がごろごろした涸れ沢が押し出していた。
ここを過ぎると、のどかな平坦な広場に出た。緑の草地で黄色いシャクナゲが辺り一面満開だった。奇麗な水が流れ、花々が咲き青々とした桃源郷の風景が広がっていた。前方にはなだらかな山頂が全容を現す。
ここからは石楠花林の緩やかな道を登る。暫く登ると、開けた池に出る。「池馬涼」と(字が違うかも知れない)書かれている。明るく気持ちのいいとこだ。山頂まではもう近い。14時20分着。中国人達が上半身裸になり、ズボンをあげ、池の中に入り、仲間に写真を撮れとポーズを取っている。苦労して登ってきて、感激ひとしをといったところか。ここで暫く休憩。しかし、ここからは誰も頂上に行こうとしない。私は、ゆっくりと登り始める。少し直上して、左にトラバースすると山頂下の尾根に出る。振り返ると、池の辺で中国人たちが下るぞ!と言うジェスチャー。霧の中、蒼山の一角に立つ。霧はますます濃くなってきた、急ぎ駆け下りる。皆、心配して待っていてくれた。時計は丁度15時だった。
中和寺への馬の約束が夕刻17時だった。
水場のある草原まで下ってくると、大勢の中国人男女が登ってきていた。皆、石楠花の花でも見にきたのだろうか、登る時に見えた車道から登ってきたらしい。それぞれに花の根を採集している。どうも漢方薬らしい。石楠花の小木を引き抜いて持っている人もいた。やがて、全員一緒になって山を下る。しばらくして道が二又に分かれる地点にきた。登ってくる時は気がつかなかった。ここで車道組みと別れる。
私は登ってきた道を急ぎ駆け下りる。途中、休憩なしで午後5時20分に中和寺に着く。
約束の時間に遅れてしまったが、馬は予定どうり来て待っていた。途中いつも一緒だった中国の若者達を追い抜く。彼らは歩いて下っていた。馬上から”謝謝.シェイシェイ”とお礼を言うと”再会、ツアイツェン”と別れを惜しんでくれる。彼らは大理学院臨床医学(学生) 楊松君と、私のメモ帳に書かれていた。馬方は大理の町の外れまで送ってくれた。
今回の山旅では、話に聞いていた中国人とは全く違う人々と出会った。田舎なのだろうか、皆、親切で礼儀正しくいい人達ばかりだった。


5月29日 (快晴)大理滞在
ぶらぶらと洋人街に出かける。欧米人を結構みかける。こちらに来てまだ日本人には会っていない。路上に椅子を並べた雰囲気のいいオープンカフェに入る。この時期の大理は陽気もよく、外のほうがさわやかだ。ここの主人は日本語が堪能だった。聞くと以前日本人と藍染めの貿易をやっていたとのこと。今は止めたが日本は品質に厳しく、商売にならなかったと言っていた。
その後、耳海の近くまで散策、湖で取れる淡水魚があちこちで売られていた。
街には中国人の団体観光客を多く見かける。ペー族の女性ガイドが白と赤の民族衣装で案内している。マナーの悪い観光客が実に多い。くわえタバコの人、平気でポイ捨てする人、タンを吐く人、両手をポケットに突っ込んだ人、男女とも同様スタイルの人たちが多い。
近くではおばさんがあちこちで掃除をしていた。
昼食に入った小さな食堂でペー族の三道茶の接待を受ける。お茶で客人をもてなすそうだ。小さな器で何杯もおかわりをしてくれた。全て味が違うし、おいしい。10人ほどしか入れない小さな食堂で、客は中国人のみ、茶の接待はおのずと私のみのサービスになる。茶は緑茶で葉っぱのみでこれが実に美味しかった。食事をしたのでお茶は客人へのサービスだった。
明日の昆明行きチケットを買いに行く。大理ではどこの旅行社もかない英語を話せる人がいた。


5月30日(晴れ.雨.曇り)大理−昆明
大理古城、9時発、ワンボックスカーで、大理(大理古城に対し新大理と地元のひとは言う)まで送ってくれる。大きなホテル蒼山飯店で乗り換え。大理10時30分発、客は3人のみ、バスガイドの女性が切符のチェックにくる。バスはボルボでトイレもあり、リクライニングで豪華なバスだ。中国には意外と日本車が少ない。乗用車はワーゲンが多く見られる。
のどかな山道を、幾つかの峠を越え、山腹を横切り、広大な野菜畑の続く道を8時間かけて昆明へ。途中、道路工事であちこちでバスは待たされる。
今日は雨が降ったり止んだりの天気。途中のドライブインでは麗江から来た寝台バスが止まっていた。中に入れてもらい見せてもらう。2階部分がベッドになっている。布団も結構きれいで清潔な感じだ。寝台バスの話は聞いていたが、すごく汚いバスを想像していた、これなら寝台バスの旅もいい。中にはバスを降りず寝ている人もいた。なかなかいい設備で感心する。
昼食は、ライスヌードル5元とお気に入りの大根スープ5元ですませる。
昆明には19時10分に着いた。バスを下ろされたとこが町のはずれで、場所がどこか判らない。近くにホテルもなく、しかたなく暫く歩く。40分ほど歩き回るが、やむなくタクシーをつかまえる。親切なドライバーで一緒になって地図を覗き込みホテルを探してくれた。どこに行けばいいのか判らないので地図のホテルマークの沢山ある地点まで行ってもらう。
中国の旅は安い。雲南に来て30.000円を両替えした。5日間でまだ半分もお金を使ってない。中国元を余らせても仕方ないので、今日は豪華なホテルに泊まる。350元の昆明国際飯店に決める。今までのホテルの約3倍高い。
今日は風が強かった。半袖だと夜は少し肌寒さを感じた。
本日の出費 475元  


5月31日(曇り午後雨)
朝、雨になりそうな曇り空だった。隣のホテルのカフェに行く。Coffee一杯30元と高い。お代わりは自由だったが中国にしてはすごく高い。
旅も今日で最後、石林にでも行こうと思っていたが、今日の天気では嫌になりやめた。
昆明にいても面白くないので、空港に行き、明日のフライトを今日に変更してもらうことにする。
中国元も余っているし、タクシーで空港へ。運転手は「エアーポートプリーズ」と言っても全く通じなかった。驚いた顔をしてこちらを見ている。「空港」と書いて見せると判ってもらえた。
空港では航空会社の事務所を探す為「Information」と書かれた案内のところに行く。しかし、ここも全く英語が通じない。案内所では、2人の男女がやる事も無くおしゃべりし、座っているだけだった。外国人が来ると、迷惑そうに、知らんふりをして横を向いている。国際線の案内係りであったなら英語くらい話せないと、そこにいる意味がないと思うのだが。
空港内を歩き回り、欧米人を見つけ聞くと親切に教えてくれた。スイスから来たと言う。彼も中国の旅は大変だったと言っていた。
今日の席が確保できたので、遅い昼食を食べに2階の食堂に行く。空港内はなかなか立派で奇麗だった。しかし、ここの食堂が、又、なんでも値段が高い。ヌードルと緑茶で150元だった。ヌードルは今回の旅で初めて味わう、とても不味いものだった。清潔で、きれいな容器で、ウエイトレスも、親切ではあったが・・・。

夕刻、昆明を発ちBKKへ、そのまま、夜行便に乗り継ぎ帰国


海外登山と世界の山旅