ネパールヒマラヤ.アピ登山    
        Nepal Himalaya.Api(7132m)松本登高会ネパールヒマラヤ.アピ遠征隊
隊長:福沢勝幸、副隊長:高橋正幸
新井祥之、阿南照之、渡辺 博、、市川良治、、大本研ニ、牛尾邦男





アピ 7132m 南西壁


初めてのヒマラヤ登山 ’71年、山岳会結成10周年を記念してヒマラヤに出かけた。会創立以来 “いつかはヒマラヤへ”と抱いてきた夢が、ようやくにして実現した。
国内の山行も、常にその目標を定め、厳しい登山を続けてきた。合宿は地元である穂高が中心だった。北穂滝谷や屏風、前穂高の岩場を中心に活動を続け、合宿の延長には、いつも目標とするヒマラヤがあった。
計画の段階で、幾つかの山が候補にあがった。目標の山は7000m峰、未知のルート、と、言うことで、最終的にアピの南面からのルートが決定した。
この山は、既に日本の同志社隊によって登られていた。しかし困難な南面ルートは未踏のまま残されており、過去、イタリア隊が試みているのみで、その後、18年間誰も訪れていない。又、この地域は資料も少なく、多くの未知の要素があるのも魅力であった。

アピは、西北ネパールに位置する。この地域は、現在でも辺境の地だ。アプローチは、約1ヶ月のキャラバンでBCへ。始めて見る南壁は、登攀ルートを見出せないほどの急峻さ、圧倒的な姿で我々を迎えてくれた。
最初の数日間は、数パーティに分かれて、ルートの偵察から始める。夜は、毎日偵察結果の資料を基に、ルートの検討、なんとか南西壁にクライミングの可能性を見つけ、ようやくルートが決まる。
5000mのC1までは、特に問題はない。ここから、唯一可能性のありそうなクーロワールを登る。
高度障害に悩まされながら、くる日もくるひも、メンバーを交代してのルート開拓が続いた。午後には毎日雪が降り、表層雪崩に見舞われた。
10日間ほどの奮闘でようやく稜線に出た。そこは鋭い岩と氷の稜で、テントを設営できる場所もない。
C1からの高度差は1000mにおよんだ。

キャンプ地が得られない上、そこから上部もかなり難しく厳しい。装備、食料の補給もできず、そんな折、運悪く、シェルパの滑落事故が起こった。続いて大本隊員のクレパス転落事故が発生。
彼の事故に気がついたのは夕食時、誰かが、大本がどこにもいないと言うことで大騒ぎになる。BCからC1へ荷揚げ中、ヒドンクレパスを踏み抜き落下、幸運にも背負子がクレパスの途中に引っかかり一命はとり止めた。
アクシデントが続き、2名もの戦力が欠け、更にルートも厳しい。今後の我々のとるべき行動について、全員に打診する。どんな事があっても登ろうとする者、安全を考える者、意見は様々だった。皆、それぞれに強い思いでこの遠征に賭けていた。多額の借金を抱えてきた者、退職してまで参加した人、思いはそれぞれに異なる。
私自身、最後に“もう一度ヒマラヤに戻ってこよう”と言うことで自分を納得させ、断念した。
我々のヒマラヤ初挑戦はあえなく敗退した。

登山終了後は、西北ネパールの未知の山々を訪ねた。
セテコーラからサリモリコーラ、更に周辺の尾根や谷に入り、最奥の未知の山々の資料を持ち帰った。
世界で初めてこの地に足跡を残したのも大きな成果だった。
この地域には、まだ、未登の美しく、素晴らしい6000m峰がいくつも存在する。







   

    
海外登山と世界の山旅