1996. 11.17〜11.26 |
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今回のトレッキングは、日本を出発して帰国まで全日程11日間でゴーキョピークを往復した。休暇の取れない小松達と矢口勝義に同行する。私が一足先にNepalに飛びヘリコプターの手配など準備、ナムチエで彼等を迎える段取りを取った。KTMでの手配を終えると1人ナムチエに向かった。 今回は、天候にも恵まれ予定どうりゴーキョピークへ。帰りに日程調整でモン.ラで一泊、ヘリ待ちでシャンボチエで一泊滞在。翌日、KTMに戻り、その夜のフライトで帰国した。 |
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11月17日(晴れ)、カトマンズ(ヘリコプター)シャンボチェーナムチエ。 シャンボチェの飛行場に出迎える予定が寝過ごす。その間に小松、矢口がナムチエに下りてくる。ナムチェでガイド、ポーターとメンバー3名合流。 11月18日、ナムチェ滞在。丘の上の博物館など見学、周辺の散策。お茶屋で昼食、陽だまりで昼寝、お茶など飲み、時間をかけて、のんびりと高所順応と休養日にする。皆、日本で働き過ぎ、まあ、のんびり行こう・・・と、何もしない一日を過ごす。 |
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11月21日〈晴れ)、マッチエルモ8時10分ーゴーキョ12時30分着。マッチエルモからひと登り、チョーオユー、ギャチュンカンなどゴジュンバ氷河の山々がいっきに広がる。 ここから緩やかにパンガに下る。昨年の11月、雪崩で大事故があった所だ。慰霊碑が既にできていた。この時季、めったに降雪がない所だが、改めて見ると左の斜面、大量の雪が降れば雪崩があってもおかしくない。破壊された家は、窪地に建てられた家のみで、モレーンの高台にあるハウスは、まったく被害を受けていないのがわかる。 水の流れるガレを登り、氷河湖に出る。のんびりとゴーキョには4時間ほどで到着した。小松、矢口は、高度障害の出ないうちにとコーキョピークに向かう。私は、以前、来た事があるのでのんびりと陽だまりで昼寝。 彼らは暗くなっても戻ってこなかった。経験豊富だから、まあ、心配はない。 夜になって帰ってきた彼らは、夕映えのエベレストを撮って来たと言う。 その夜はかなり冷え込んだ。マイナス10度ほど。その夜は山談義にふける。小松が、今度はカンチュンジュンガに行こうと言うが今だ実現していない。 |
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11月23日〈晴れ)、ドーレ9時10分発ーモン.ラ13時15分着。帰りのヘリコプター予約まで、日程があるのでモンラで1日滞在する事にする。ここは、以前、茶屋しかなかったが今は宿泊のロッジがある。小松はいままで我慢していたビールをここに来て一気に飲む。ここまで来ればシャンボチェエは近い。 | ||||
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1月25日〈晴れ)、シャンボチェ(ヘリコプター)カトマンズ.ー夜の便で帰国 シャンボチェでMr,大河原と会う。タンボチェへお客をガイドした帰りだと言う。予定のヘリはなかなか来ない。空港の丘で、朝から幾度も飛来を待つ、少し雲が出てきたのが心配だ。 午後遅くなって、ようやく爆音と共にヘリがやっていた。ダイレクトにカトマンズに飛ぶと思ったが一旦ルクラにランデング、数人のお客を乗せ、再び飛び立つ、カトマンズには17時に到着した。 小松、矢口は急いで土産の買出しに出かける。 カトマンズではヒマラヤンジャー二ーの大河原おばちゃんに、猪鍋の食事に誘われる。バンバンレストランに席を予約してあると言う。 小松と矢口はシャワーを浴び、帰りの荷物をまとめ、夕食後、その足で空港に向かうことにする。 このときのしし鍋の美味しかったこと、山での粗末な食事を思うと、やはりカトマンズは大都会だった。 |
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